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2005年09月10日
2005/9/11礼拝メッセージ
2005年9月11日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「キリスト者の苦しみ」
ペテロの手紙第一4:12~19より
1. 火のような試練
この手紙のテーマは「苦難」。キリストを信じてもなお苦しみを受け,なぜ?と問わずにはいられない出来事がおきます。それは,まるで火のような試練。このような苦難は,まさに私たちの信仰に対する「試み」であると述べられています。なぜならば,私たちの真実は「すべてが自分の思い通りになる時,私たちは再び神を見失う」という現実だからです。
2. 喜びなさい
さらに,ここには「喜んでいなさい」と記されています。この言葉は,試練を積極的にとらえている表れです。しかし,これは「苦難そのものを」喜ぶというよりも,神が苦難を通して,私たちに関わってくださるといういことへの積極的な姿です。悪いことをするならば,その報いは必ず来ます。最後には,神が公正にすべてを裁かれます。私たちは悪いことへと向かうために創造されたのではなく,神に向かって生きるようにと創造されたのです。
3. キリストの苦しみへの連帯
苦しみを受けるそのときに,私たちはキリストの苦難へと思いが向けられます。私たちはキリストを通して苦しみの意味を知ります。その苦しみは,人の罪ゆえであるということ。そして,またキリストもその苦しみをともに担ってくださったということ。さらに私たちもまた,キリストの苦しみをともにしているのだということです。キリスト者の幸いの一つは,苦難を生涯の中でしっかりと受け止めることができることです。
4. 苦しみとともに
18節は箴言11:31の引用です。この引用から理解できることは,神に従うものたちは,苦しみとともに救われるのだということです。神は苦難の中にいる私たちを力強い御手をもって,必ず救い出してくださいます。この苦しみは永遠ではありません。一人一人の苦しみを神は覚えており,やがては神の栄光と誉れへとかえられます。今,私たちが苦しむときに,そこに苦難をともにしてくださるイエス・キリストがおられる幸いをもう一度覚えさせていただきたいのです。
[考えるために]
なぜ苦しむものは幸いなのでしょうか。あなたは神の約束をつかんでいるでしょうか。
投稿者 mb-church : 2005年09月10日 17:58
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