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2005年07月02日

2005/7/3礼拝メッセージ

2005年7月3日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「わたしたちの誇り」
ペテロの手紙第一3:1~7より

1. 「同じように」
 この箇所の直前を見ると,私たちはそこにキリストの姿を見出すことができます。苦しみにあっても,理不尽な状況にあろうとも,正しく裁かれる方に委ねる姿がありました。そのキリストと同様に,妻に対して夫に服従しなさい,と勧められています。従うことの目的に私たちは目を留めたいと思います。その目的はただ一つです。それは,夫を得るためです。

2. 夫を得るということ
 みことばに従わず,理解しない夫が,神のものとなるために妻は夫に従いなさい,と勧めています。その方法はいかなるものであったでしょうか。それは,神を恐れかしこむ清い生き方を,夫に従うことによって,彼らが見るという方法でした。ここには,人や権威への恐れや義務感からではなく,神にある自由人として,夫に従う妻の姿が示されています。

3. 何が中心にあるのか?
 人の機嫌をとるような行為ではなく,神を恐れ,神に信頼して歩む妻の姿に,夫は神を見出します。つまり,何がその人の中心にあるのか,何を誇りとしているのか,そのことを一番近くにいる夫は見出すのです。外面的な敬虔さ,正しさではなく,神は人の本質を見ています。そして,周囲の人々もその本質によって変えられていくのです。これは女性のみならず男性にも当てはまることです。続いて,夫の本質にも迫っています。夫に対して,妻をいのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい,と勧めています。とかく男性は尊敬を受けたいと願う存在です。しかし,男性に対して妻を自分と同等に,いやそれ以上の存在として認めなさいということによって,男性の本質に迫っているのです。

4. 私たちの基準はどこに?
 これらの箇所に一貫して流れているもの,それは,私たちの基準はどこにあるのか?という問いかけです。私たちの基準が時代や文化,自分の正義感や価値観,そこにあるのではないでしょうか。しかし,私たちの生きる基準は,キリストの姿にあります。ここに自由人としての,何にもとらわれないキリストを誇りとする生き方の秘訣があるのです。

[考えるために]
 あなたの誇りとするものは何でしょうか?
 周囲との関係を見つめなおしてみましょう。

投稿者 mb-church : 2005年07月02日 23:09

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