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2005年07月25日
いってきます~
明日からフィリピン・ミッション・トリップに行ってきます。
ということで,更新は帰ってきてから,ということになります。
が,その後も,キャンプ続きでここに書き込むのはいつのことになるのやら。
台風の進路が心配ですが,心配しても仕方がないので今日中に寝ます。
明日は早いので起きられるかがちょっと心配。
家族の寝顔を見ながら旅立つことでしょう。
それではみなさんオヤスミナサイ&イッテキマス!
投稿者 mb-church : 22:40 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月23日
2005/7/24礼拝メッセージ
2005年7月24日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「見よ。それは非常によかった」
創世記1:26~2:3より
1. 礼拝とは何か?
礼拝は何よりも神をあがめ,たたえる行為です。礼拝に向かう理由の一つは,私たちが神によって作られた被造物であるということです。人間以外の被造物は神を礼拝しません。神を礼拝することは,人間にしかできない行為です。創世記には人が「神のかたち」であることが記されています。私たちの原点は,この「神のかたち」という言葉にあります。
2. 神のかたち
「神のかたち」から私たちは幾つかのことを知ります。第一番目に,神が人間のかたちをとっているわけではないということ。第二番目に「神のかたち」というときに,それが神の性質を持ち,神と共有できる資質を持つものであるということでしょう。神のかたちであるがゆえに,私たちは神と思いを共有することができるのです。人間は神の刻印をおされた神の作品であり,だからこそ,神を知るときに,神のかたちである人間自身をも知ることができます。そして何よりも,神のかたちである私たちは,神に向かって生きる存在なのです。
3. なぜ礼拝をするのか?
なぜ神を礼拝するのでしょうか。その一つの答えが,「神のかたち」にあります。私たちは,神に向かうとき,神と思いを一つとするときに,私たちに真の充足が与えられます。創世記を読むときに,私たちは神の圧倒的な力を見ることができます。それと同時に,この世界がすばらしい神の作品であることにも気がつかされます。私たちは,被造物でありながら,この感動を神と共有することが許されているのです。
4. 安息日
しかし,私たちは神を見失いがちです。それゆえに,神は私たちに安息日を与えてくださいました。ただ単に休むだけの日が安息ということではありません。神の創造のみわざを繰り返し覚え,感謝する。私たちが神のかたちであるからこそ,安息日が備えられています。私たちが神と親しく交わり,コミュニケーションをとる。その日が安息日であり,礼拝なのです。私たちを生かすのは,礼拝のある生活なのです。
[考えるために]
あなたが「神のかたち」であることは,あなたにとってどのような意味をもたらすのでしょうか。
投稿者 mb-church : 21:51 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月16日
2005/7/17礼拝メッセージ
2005年7月17日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「たとい苦しみの中にあっても」
ペテロの手紙第一3:13~17より
1. 苦難の手紙
Ⅰペテロには,教会の周囲に起こる不穏な動き,苦難の前触れ・・・不安な中に置かれているクリスチャンたちへの確かな希望の再確認やエール,そのような要素がふんだんに盛り込まれています。なぜ,キリストに忠実に従っていても,このような苦難を通らなければなならいのでしょうか。
2. 終末にたって
この手紙には終末的な視点があります。世の終わり,と言うと何か物騒な気がしますが,聖書において終末とは,神の国の完成,救いの完成の時をさしています。キリストに従ってもなお苦難の中にある教会に対して,ペテロは終末を見据えて励ましているのです。
3. 苦しみは幸い?
「義のために苦しむことがあるにしても,それは幸いです」と語られています。キリストも同様の言葉を山上の説教において語りました。なぜ幸いだと言えるのでしょうか。ペテロは試練を通して,私たちの信仰が練られ,そして救いの完成の時に,賞賛と光栄と栄誉へと至ることを,この手紙で明らかにしています(1:6~7)。しかし,現実だけを見てしまうと,そのように思えないことが多々あるのではないでしょうか。
4. 二つの勧め
ここで二つのことが勧められています。一つ目は「人や状況を恐れない」ということです。私たちは困難な状況に遭遇するときに,何を恐れるのでしょうか?人や状況の困難さでしょうか?私たちが唯一恐れなくてはならないのは,真の神です。それを見失ってしまうときに,私たちは現実にのみ囚われてしまうことでしょう。二つ目は「心の中でキリストを主としてあがめる」ということです。心の中でとは,心から,心の底からキリストを主としてあがめることです。キリストは,私たちの欠け,苦しみ,苦難を通して,ご自身を現してくださいます。そして,私たちもまたキリストと同じ歩みへと導かれることこそ,私たちの希望です。このことを通して,神は私たちを決して希望を失うことのない歩みへと導かれるのです。
[考えるために]
イエス・キリストによってあなたに与えられた希望とは何でしょうか?
投稿者 mb-church : 18:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月14日
最近見た映画(というよりDVD)
最近見たのは,次の3本。
①ターミナル
②ボーン・スプレマシー
③HERO 英雄
さてさて感想はというと・・・
①ターミナル
よくできたファンタジーでした。このような役をやらせれば,トム・ハンクスの右に出る人はいません。
どこか,あの役(あの代表作)にも似ているような気がしますが,
トム・ハンクスのお腹の出かたに,妙な説得力を感じてしまいました。
主人公にあまり共感はできませんでしたが,空港で働く人々(特に労働者たち)にスポットがあたり,
様々な人種,様々な年代,様々な人生が交錯する場としてのまさに“ターミナル”が描かれていました。
教会もこんな感じであればいいのかな~,そんな気もしなくはなかったです。
②ボーン・スプレマシー
ターミナルとは一転した内容のシリアス・アクション物の続編です。
記憶を失った元CIA特殊工作員,ジェイソン・ボーンの物語。
他のアクション物とは一線を画するシリアスさ。
マット・デイモンが一級の工作員に見えない所が逆にいいのでしょうか。
それでも人は生きていかなくてはならない的な悲哀がよかったです。
三部作らしいので続編があるのでしょうか。
個人的には一作目よりもよかったです。
③HERO 英雄
今回の3作の中では一番よかった!
#かなり前に上映された映画ですが。
映像美もさることながら,そのストーリーにうならされました。
大義のために生きる(というか死を選ぶ)!
人は何のために生きるのか?
見終わった後によい余韻が残りました。
しかし,いいですね~香港,中国の俳優たち。
そして何よりもクリストファー・ドイルの映像美。
一級のファンタジーは,現実以上のリアルさをつきつけるものだと再確認しました。
でも,ワイヤーアクションはちょっとやり過ぎかもしれません。
以上,DVD鑑賞覚え書きでした。
投稿者 mb-church : 13:35 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月10日
2005/7/10礼拝メッセージ
2005年7月10日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「祝福を受け継ぐために」
ペテロの手紙第一3:8~12より
1. 最後に
「手紙の最後」というわけではありません。ここでこれまでの人と人との関係についての総まとめが書かれています。それは次の5つのことです。①心を一つにすること,②同情すること,③兄弟愛を示すこと,④あわれみ深いこと。⑤謙遜であること。
2. ハーモニー
心を一つにすることは「調和」という意味の言葉です。これは,無理やりに一つになることを表してはいません。互いの違いを認め合い,尊重する・・・ここにハーモニーが生まれます。心を一つにすることと,謙遜であることとは深い関係にあります。相手を尊重し,相手に仕えるということを通して,神にあるハーモニーが生まれるのです。
3. 兄弟愛
同情することとあわれみ深いことは表裏一体のものです。これは人間的な感情だけではありません。どちらか一方が高い所に立ってあわれむのではなく,互いに,神に赦され,神のあわれみを受けている者たちであることが,その出発点となります。このような関係から生じるものこそ,教会に与えられた兄弟愛なのです。そしてこの愛の中心はキリストです。キリストにあって罪を互いに赦された存在として,同じ天への旅路を歩むものたちであるという認識を持って,互いに認め合い,励ましあうのです。
4. 祝福を受け継ぐために
このような兄弟愛は,さらに私たちの周囲へと広がっていきます。私たちは,敵対するために救われたのではありません。そうではなく,祝福を受け継ぎ,その祝福を周囲に与えるために置かれているのです。私たちはキリストに示された神の義を求めて積極的に生きるようにと導かれています。主の目は,そのような歩みに目を留めてくださっているのです。
[考えるために]
あなたと周囲の関係において,5つのことはどのように示されているでしょうか。
投稿者 mb-church : 08:48 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月08日
なぜ?
ロンドンでテロが起きました。
このような事件が起こると言葉を失います。
変わらぬ日常の中にいる自分と,その惨事とのギャップがそうさせるのでしょうか。
今,私たちの教会員の方がロンドンにいます。
そのような身近な人がいると,この事件が人事ではなくなります。
しかし,そうでなければ,このニュースも新聞の一面を飾る記事としてしか読んでいなかったかもしれません。
大丈夫でしょうか?
ちょうどクラウゼヴィッツの戦争論に関する本を読んでいます。
このような事件には様々な大義が見え隠れします。
しかし,つまるところ,やはり力と力の対立こそが,その本質にあることでしょう。
神がいるのになぜ戦争が起こるのか?
直接関係ないと思われる人々を巻き込むテロなどが起こるのか?
このような問が私たちの頭によぎります。
しかし,このような対立,力と力の関係,そこで第一に神の責任を問うことが正しいことなのでしょうか?
私たちは自分たちの姿,社会のあり方,人と人との関係を直視しなくてはならないでしょう。
義人はいない。ひとりもいない。
悟りのある人はいない。神を求める人はいない。
すべての人が迷い出て,
みな,ともに無益な者となった。
善を行う人はいない。ひとりもいない。
彼らの足は血を流すのに速く,
彼らの道には破壊と悲惨がある。
また,彼らは平和の道を知らない。
ローマ3:10~12,15~17
私たちが人間である以上,負っているものは小さくないのです。
キリストにのみもたらされる平和,和解に希望を置きたいと思います。
投稿者 mb-church : 09:44 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月02日
2005/7/3礼拝メッセージ
2005年7月3日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「わたしたちの誇り」
ペテロの手紙第一3:1~7より
1. 「同じように」
この箇所の直前を見ると,私たちはそこにキリストの姿を見出すことができます。苦しみにあっても,理不尽な状況にあろうとも,正しく裁かれる方に委ねる姿がありました。そのキリストと同様に,妻に対して夫に服従しなさい,と勧められています。従うことの目的に私たちは目を留めたいと思います。その目的はただ一つです。それは,夫を得るためです。
2. 夫を得るということ
みことばに従わず,理解しない夫が,神のものとなるために妻は夫に従いなさい,と勧めています。その方法はいかなるものであったでしょうか。それは,神を恐れかしこむ清い生き方を,夫に従うことによって,彼らが見るという方法でした。ここには,人や権威への恐れや義務感からではなく,神にある自由人として,夫に従う妻の姿が示されています。
3. 何が中心にあるのか?
人の機嫌をとるような行為ではなく,神を恐れ,神に信頼して歩む妻の姿に,夫は神を見出します。つまり,何がその人の中心にあるのか,何を誇りとしているのか,そのことを一番近くにいる夫は見出すのです。外面的な敬虔さ,正しさではなく,神は人の本質を見ています。そして,周囲の人々もその本質によって変えられていくのです。これは女性のみならず男性にも当てはまることです。続いて,夫の本質にも迫っています。夫に対して,妻をいのちの恵みをともに受け継ぐ者として尊敬しなさい,と勧めています。とかく男性は尊敬を受けたいと願う存在です。しかし,男性に対して妻を自分と同等に,いやそれ以上の存在として認めなさいということによって,男性の本質に迫っているのです。
4. 私たちの基準はどこに?
これらの箇所に一貫して流れているもの,それは,私たちの基準はどこにあるのか?という問いかけです。私たちの基準が時代や文化,自分の正義感や価値観,そこにあるのではないでしょうか。しかし,私たちの生きる基準は,キリストの姿にあります。ここに自由人としての,何にもとらわれないキリストを誇りとする生き方の秘訣があるのです。
[考えるために]
あなたの誇りとするものは何でしょうか?
周囲との関係を見つめなおしてみましょう。
投稿者 mb-church : 23:09 | コメント (0) | トラックバック
2005年07月01日
夏間近!
7月に入りました。
すでに真夏のような天気と,梅雨のうっとおしいじめじめ感とを同時に体験している今日この頃です。
皆さんは体調崩してませんか?
この夏の予定を皆さんそろそろたて始めているのではないでしょうか?
私はというと・・・
7月には,属しているバプテスト教会連合のフィリピンへのミッショントリップに参加します。
初フィリピンにちょっとドキドキしていますが,今から楽しみにしています。
真夏以上に暑いフィリピンで,何に出会うのでしょうか?
このHPでも報告をしたいと思っています。
また,幾つかキャンプにも参加します。
その中でも,キリスト者学生会(KGK)の夏期学校に,今年もついていきます。
主事の補佐というか,学生の先輩というか,単にじゃれあっているだけというか・・・
少しでもお役にたてたらと願っています。
今年の夏期学校のメッセンジャーは佐藤彰牧師。
5月の友人の結婚式でもお会いしましたが,また再会できるのも楽しみの一つです。
そうそう,分科会も担当します。内容は後日のお楽しみ。
それにしても,楽しんでばかりですがいいのでしょうか?
わたしの基本は「いつでも楽しむこと」にあるので,こればっかりは変えようがないのです。
でも,でも,今年の夏も,大好きなアウトドアキャンプの目処がたっていません。
今年こそは!と意気込んでいますが,どうなることでしょう?
皆さんの夏の予定,報告などもコメントにちょこっとでも書き残してくださるとうれしいです。
主の平和と祝福をお祈りしています。