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2005年06月18日

2005/6/19礼拝メッセージ

2005年6月19日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「ひつじと牧者」
ペテロの手紙第一2:21~25より

1. キリストの姿
 「キリストは罪を犯したことがなく,その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても,ののしりかえさず,正しく裁かれる方にお任せになりました。」この短い一文に,キリストの歩みの濃縮されたエッセンスを私たちは見出します。この「キリスト」というところに,私たちの名前を入れることができるでしょうか。もしかしたら,恥ずかしくていうことができないかもしれません。

2. イザヤ書53章
 この箇所の土台になっているのはイザヤ書53章です。キリストの姿をペテロは間近で見ました。十字架上への歩み,受難,それこそイザヤ書に描かれたメシアの姿でした。イエスが成し遂げようとしておられたのは,国の復興ではなく,私たちの罪を担い,贖うためであったのです。

3. 羊のように
 私たちは神の作品としてのすばらしさの裏に,自分勝手に生きようとする罪があることを認めざるをえません。聖書はそのような私たちをさまよえる羊だと指摘しています。私たちのいのちは,その罪ゆえに損なわれてしまったのです。

4. キリストが十字架で死なれたゆえに
 しかし,キリストが十字架で私たちを贖ってくださったゆえに,私たちはその罪に死に,義に生きることができます。私たちは罪に定められないだけでなく,義に向かって,神に向かって,生きる道が開かれました。私たちの真の出発点はここにあるのです。自らさまよう羊となった私たちは,キリストの十字架の死によって,真の牧者であり,監督者である神のもとに帰るのです。私たちはなおも羊です。しかし,さまよえる羊,孤独な羊ではありません。十字架の主に信頼して歩んでまいりましょう。

[考えるために]
 あなたは,さまよえる羊であることを認めることができますか?
 私たちの牧者であり,監督者である方は,誰でしょうか?

投稿者 mb-church : 2005年06月18日 17:41

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