2005年04月23日
2005/4/24礼拝メッセージ
2005年4月24日の真砂バプテスト教会の礼拝メッセージの要約です。
「我は罪の赦しを信ず-使徒信条8-」
ローマ人への手紙3:19~24より
1. 罪と死
罪の赦しは,キリスト教信仰の中心です。それを教えるということは,同時に私たちの置かれた立場をも明確にしなくてはなりません。つまり私たちは罪人であり,死を負ってしまっているということを。人間のすばらしさと悲惨さとが入り混じる世界・・・これが私たちの世界です。私たちはその理由を懸命に探し,何とか説明しようとします。誰かの(先祖の)責任にし,神を恨み,運命を呪う。しかし,聖書はその理由を,私たちが抱えてしまった「罪」によるものであると教えています。
2. 罪とはなにか
聖書の語る罪とはいったいなんでしょうか。その一つとして,自分のいのちや生涯を,自分のものであるかのようにとらえ,そして生きることです。つまり,自分の好きに生きること,これが「罪」なのです。それは一見もっともなことのようですが,ここには落とし穴があります。それでは,自分のいのちや人生に対して,過小評価していることになるからです。聖書は,私たちの存在は,自分の好きなように生きるためにあるとは語っていません。あなたのいのちは,あなただけのものではなく,あなたを創造した神のものであるのです。そして,あなたのいのちは,自分自身の範囲にとどまらず,家族や周囲の人々へと,そのすばらしさが広がっていくものだ,と私たちに教えています。私たちは創られた初めから,孤独の中ではなく,人々と,そして神とともに歩むように形作られました。自分の好きなように生きることは,私たちを本当に満たす生き方ではないのです。罪とは,私たちの本質からはずれることです。孤独の中では生きることのできない私たち,ましてや,創造主である神のもとを離れては,本来の自分の姿,目的を失ってしまうにもかかわらず,そこから離れ,その存在を無視してしまうことこそ「罪」なのです。
3. 罪の赦し
この罪は私たちの力ではどうすることもできないものです。しかし,十字架によって,私たちの罪が赦され,キリストの復活の希望と聖霊の助けによって,私たちはこの罪から解き放たれたのです。私たちが本質である神から離れてしまうかわりに,神の側から私たちのところまで来てくださいました。私たちは,罪赦された者として,歩むことが許されているのです。神は,私たちの罪深い性質をもはや覚えようとはなさらないということを心に留めて歩ませていただきましょう。
[考えるために]
罪とはいったい何でしょうか?罪の赦しはあなたのいのちに,そして生涯に何をもたらすのでしょうか。
投稿者 mb-church : 2005年04月23日 16:56
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