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2005年03月05日

2005/3/6礼拝メッセージ

2005年3月6日の礼拝メッセージの要約です。
「我は神を信ず-使徒信条1-」
ローマ人への手紙10:9~13,詩篇19篇より

1. 信仰告白
 使徒信条の原型は2世紀頃からすでに告白されていました。キリスト教は告白の上に立つ信仰を持っています。それは聖書によって自己を啓示された神に応答するゆえです。ですから信条は洗礼の際に告白したことがよく知られています。告白が信仰の原点となるのです。

2. 問いと答え
 使徒信条は三位一体の神への信仰告白です。
 「もし神が存在しても,答える必要はありません。しかし,人間が存在するならば,耳を澄ます義務があります。」(ギドン)
 私たちが人間として生き,考え,感じ,行動しているならば,なぜこのような「人間」としてここにいるのかを考えざるを得ません。神がいるか,いないかではなく,この私が偶然存在しているのか,否か。この問いに対して,神は聖書を持って確かに答えています。

3. 「天地の造り主」
 天と地-私たちの目に入るもの全て,という意味です。人間は無から創造することはできません。全てを創造したお方,それが神です。目に見えない心,人格,存在そのものを形作ったお方です。そして神は全ての創造物を「よい」としました。神を信じるということは,この世界やいのちをすばらしいとすることです。そこに神の栄光のみ業を見るのです。

4. 「全能なる神」
 全てが可能であり,全てが実現していく-それだけではありません。全地を創造した方は,私たちの心の内側に至るまでご存知であり,全てのものがこの方の影響を受けています。天地の創造主は,世界を放置し人間を野放しにはしていません。今もこの世界に影響を与えているのです。

5. 「父なる神」
 御子キリストとの関係のゆえに,父なる神と告白されています。そしてさらに御子キリストの十字架のゆえに,私たちもまた神を父と呼ぶことが許されています。神は私たちの父であることを否んではいません。この時代は傲慢な時代です。神を信じるとは,私たちのあらゆるところに,神を認めていく,いや認めざるを得ないことを知ることなのです。

[考えるために]
 聖書に示された神はどのような方なのでしょうか。また神を信じて生きるとはあなたにどのような意味を与えるでしょうか。

投稿者 mb-church : 2005年03月05日 19:22

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