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2005年02月19日

2005/2/20礼拝メッセージ

2005年2月20日の礼拝メッセージの要約です。
「主のいのり-4-」
マタイの福音書6章9~15節より

1. 「私たち」の祈りとして
 ルカの福音書では,弟子たちが「ヨハネが弟子たちに教えたように,私たちにも祈りを教えてください」と願っています。主の祈りには,「個人的な祈り」以上のものが祈られています。聖書の中では,個人的な祈りだけではなく,共同体の祈りもとても重要な祈りとしてとりあげられています。

2. 教会に与えられた祈り
 主の祈りは,教会に与えられた祈りです。この祈りを祈ることによって,私たちは「祈り」そのものを教えられます。また,互いに祈りあえる特権が与えられています。しかし,その一方で,この祈りはあまりにも頻繁に,無自覚に,そして惰性的に唱えられてきました。だからこそ,今日,この主の祈りを,自覚的にともに祈りたいのです。この祈りが,何よりも「私たちの」と言っていることに目を留めさせていただきましょう。

3. 「私たちの」
 「私たち」とはいったい誰でしょうか。「私たち」が全人類であるとの指摘もあります。確かに,この祈りは,今日まで全世界の教会で祈られてきました。私たちは,誰かに祈られ,そして誰かのためにも祈ることが求められている・・・私たちは,決してひとりで生きているのではありません。この祈りにあるように,「私たち」と言える人々とともに祈りあいながら生きることが赦されているのです。

4. 共同の祈り
 マタイの福音書には複数で祈る祈りが語られています。「私たち」という祈りは,大きなうなりのような祈りです。その中心にはイエス・キリストがいます。神に赦されたものとして互いに赦しあう和解は大きな広がりを持つものです。十字架の赦しの大きさは,他の人の罪を赦すほどの大きな力となります。そして,赦された者たちの共同の祈りもまた,大きな力が与えられているのです。

〔考えるために〕
 「私たち」という言葉をあなたはどのように受けとめているでしょうか。
 ともに祈る友が私たちに与えられています。心をあわせて祈りをささげていきましょう。

投稿者 mb-church : 2005年02月19日 18:47

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