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2005年02月12日
2005/2/13礼拝メッセージ
2005年2月13日の礼拝メッセージの要約です。
「主のいのり-3-」
マタイの福音書6章11~13節より
1. 四つ目の祈り
私たちは,何でも神様に祈ることが赦されています。しかし,キリストは「天の父は,あなたがたがお願いする先に,あなたがたに必要なものを知っておられる」とも言っています。当時の人々は「日ごとの糧」から出エジプトにおけるマナを思い出したことでしょう。この祈りは,日常のあらゆる事柄にまで,私たちを生かす方,全てを備え,与えてくださる方を覚えるためのものです。この祈りを通して,私たちは神に生かされているのだということに,気付かされるのです。
2. 五つ目の祈り
私たちは神に負い目があります。神を神とせず,自分本位に生きています。「我らの罪をお赦しください」という祈りは,本当は切実なものなのです。しかし,多くの人がここから目を背ける祈りでもあります。この祈りは,キリストにあって真実に聞き入れられます。そして,神にある赦しは,個人的なものでは終わりません。罪の深刻な影響下に私たちは置かれています。しかし,キリストにあるときに,私たちの内にはまったく違うものが生れます。その新しいいのちは,罪と同様に,いや,それ以上の影響力をもって,私たちの周囲へと広がっていくのです。「私たちも,私たちに負い目のある人たちを赦しました」という告白は,罪赦された者の言葉です。私たちはキリストにある和解をもたらすものとなるのです。
3. 六つ目の祈り
罪赦された私たちの生涯は,まだ神の国が完成する一歩手前にある苦しみが確かに存在するこの世に置かれています。私たちが神の国の民として歩むときに,この祈りは切実な祈りとなります。ここで,悪に対して打ち勝つことができるように力をください,と祈っていないことに気がつきます。この祈りは,神が全ての出来事を支配し,救い出してくださる方であることを確信している祈りです。誘惑,試みすら,神の御手にあり,そして何よりも悪そのものから救い出してくださるのは,神ご自身であるとの信仰があります。「国と力と栄とは,とこしえにあなたのものだからです」との言葉をもって,主の前にへりくだりましょう。
〔考えるために〕
この祈りを通して示される,神が私たちに求めておられることとは,どのようなことでしょうか。
投稿者 mb-church : 2005年02月12日 11:37