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2005年02月26日
2005/2/27礼拝メッセージ
2005年2月27日の礼拝メッセージの要約です。
「あなたの手をとる御手」
詩篇73篇より
1. アサフの悩み
この詩篇には,他人との比較において苦しみ,痛んでいる人の姿があります。この詩篇の著者は生きる中での不条理に心を奪われています。著者は「悪者」を神に告発していきます。「神など関係がない。私は健康であるし,全てがうまくいっている。神などいてもいなくても同じだ」と悪者は言う。しかし,悪者は相変わらず「いつまでも安らかで,富を増している」かのよう・・・ここに著者の悩みの極みがあるのです。
2. 悩みの発端
彼はなぜこのような自己憐憫に陥っているのでしょうか。彼は精神的にも肉体的にも痛んでおり,病を負っていたようです。なぜ神を信じ,従っている私は苦しまなければならないのか。私たちの目の前にも同じようなことが起こっています。この世界を見渡すときにあふれている悪の支配,暴力,死,戦争,なぜなのか。神などいるのか?いっそのこと,悪者と同じように「このままを述べよう」と彼は思います。そのほうがこの苦役から解放される。その方が楽になれる。そのぎりぎりのところで彼は葛藤します。
3. 大転換
彼はついに神の御前に出ます。彼が見たのは,人の行く末でした。人の行く末。それは神の裁きの前に立つこと。どんなにこの地上で栄えようと,満ち足りようと,神の裁きの前に立ちおおせるものはいないことに気がつきます。そして何よりも彼は自身の愚かさを知ることになりました。神は沈黙していたのではなく,ただひたすら私の右の手をつかまえていたということを知ります。私の手を以前からつかんでいた力強いみ手の確かさを知るのです。
4. 神との距離
神との距離,これを縮めることのできる人は一人もいません。その間には人間の罪があることを聖書は語っています。イエスの十字架は,神自らがこの距離を縮めてくださった証です。神は十字架を通して,私たちの右の手をしっかりと握っておられるのです。
〔考えるために〕
あなたと神様とは,今どのような距離にあるでしょうか?
投稿者 mb-church : 19:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月22日
トロイ
遅ればせながら映画「トロイ」をDVDで見ました。
壮大なスケールの歴史大作。
でも歴史大作というのは間違いで・・・
ギリシャ神話(イリアス)を自由な発想で,史実的に描いた超大作といったところでしょうか。
本当にこのトロイア戦争があったかどうかはわかりません・・・
-参照-
が,そう言えば,僕は学生時代,トルコにあるトロイの遺跡を訪ねたことがありました。
あの時見た遺跡の姿と,この映画の壮麗なトロイの町の映像とは,まったく結びつきません。
人間の想像力と,最近の映像の力はすごいものです。
もちろん全くこの話が神話でフィクションかと言うと,そうでもないでしょう。
神話は,当時の人々の生活や歴史なども反映していることが多いからです。
映画トロイの中でも,またギリシャ神話の中でも,人々(神々)は実に人間くさい姿で登場します。
きっと当時の人々も,現代の私たちとそう違うことのない悩みを持っていたのでしょう。
何千年も前から人間は人間なんですよね。
かえって現代の方がいわゆる人間臭さを失っているのかもしれません。
それにしても登場してくる人物の肉体美がすごい。
本当にギリシャの彫刻のようです。
しかし,ギリシャ神話の神と聖書の神って全然ちがいますよね。
新約聖書はギリシャ語で書かれているので,神はギリシャの神々と同じ「セオス」が使われていますが,
まったくその示している内容が異なります。
日本語の「神」も同じです。
日本語の聖書も神は「神」と訳しています。しかし,その指し示す内容が様々な神々とは異なるわけです。
この違いがどこにあるのかを見つけていくのも,聖書を知る助けになることと思います。
でもこの映画,神話をうまく脚色してるな~
しかし,戦争の始まった理由が理由なので,
これだけのスケールの喧嘩に巻き込まれる人々もたまったもんじゃあないですよね。
投稿者 mb-church : 10:48 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月19日
2005/2/20礼拝メッセージ
2005年2月20日の礼拝メッセージの要約です。
「主のいのり-4-」
マタイの福音書6章9~15節より
1. 「私たち」の祈りとして
ルカの福音書では,弟子たちが「ヨハネが弟子たちに教えたように,私たちにも祈りを教えてください」と願っています。主の祈りには,「個人的な祈り」以上のものが祈られています。聖書の中では,個人的な祈りだけではなく,共同体の祈りもとても重要な祈りとしてとりあげられています。
2. 教会に与えられた祈り
主の祈りは,教会に与えられた祈りです。この祈りを祈ることによって,私たちは「祈り」そのものを教えられます。また,互いに祈りあえる特権が与えられています。しかし,その一方で,この祈りはあまりにも頻繁に,無自覚に,そして惰性的に唱えられてきました。だからこそ,今日,この主の祈りを,自覚的にともに祈りたいのです。この祈りが,何よりも「私たちの」と言っていることに目を留めさせていただきましょう。
3. 「私たちの」
「私たち」とはいったい誰でしょうか。「私たち」が全人類であるとの指摘もあります。確かに,この祈りは,今日まで全世界の教会で祈られてきました。私たちは,誰かに祈られ,そして誰かのためにも祈ることが求められている・・・私たちは,決してひとりで生きているのではありません。この祈りにあるように,「私たち」と言える人々とともに祈りあいながら生きることが赦されているのです。
4. 共同の祈り
マタイの福音書には複数で祈る祈りが語られています。「私たち」という祈りは,大きなうなりのような祈りです。その中心にはイエス・キリストがいます。神に赦されたものとして互いに赦しあう和解は大きな広がりを持つものです。十字架の赦しの大きさは,他の人の罪を赦すほどの大きな力となります。そして,赦された者たちの共同の祈りもまた,大きな力が与えられているのです。
〔考えるために〕
「私たち」という言葉をあなたはどのように受けとめているでしょうか。
ともに祈る友が私たちに与えられています。心をあわせて祈りをささげていきましょう。
投稿者 mb-church : 18:47 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月18日
Skype導入!
PstrNS::Blogで紹介されていたSkypeを導入しました。
早速つかってみました。
PstrNSさんの最初のダイヤル先でもあった連合主事に,ぼくもかけてみました。
#ありがとうございます!お付き合いくださって!!
とてもとてもクリアな音質でした。
これはよいですね。
相手がオンラインかどうかも分かるのも○です。
お試しでしたが,お仕事の話も丁度伺うことができ,それもよかった(!?)です。。。
話はかわりますが,午前中は女性クワイアーの練習がありました。
今日から参加の方もいて,なかなかよい感じです。
お茶を飲みながら,みなさんと壇上で歌うときの話しになりました。
聞いてる方の顔はどんな表情をしているとか,全く顔を見ることができないという話が出ました。
うんうんと聞いていたのですが,ぼく自身も,メッセージの時って本当に壇上から皆さんの顔がよく見えます。
ひとりひとり聞き方にも特徴ってあるんですよね。
目を閉じて聞く方,じっとこっちを見て聞く方。
本当に理解して聞いているかどうかは神様にしか分かりませんが,
案外,話している方としては,なんとなくうなずいてくださると(時々でも)本当に励まされるものです。
ということに気がついてから,ぼくも聞き方に気をつけるようにしています。
もちろんこれも節度があることなんですけどね。
話は戻って,きっとこれからはPC上での画面を見ながらのオンライン会議が一気に広まる気がします。
とりあえずPC周りだけはきれいにしておかないと。。。
投稿者 mb-church : 12:17 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月16日
2005/02/16水曜日集会
2005/02/16水曜日集会の様子です。
水曜日集会では,ルカの福音書を学んでいます。
今日はルカ9:1~17でした。
12弟子を派遣するところから,5000人の給食まで,とちょっといつもより長目の箇所でした。
弟子にスポットを当て,なぜ,イエスさまは弟子たちに
「あなたがたで,何か食べる物を上げなさい」
と言われたのかを,みなさんで考えました。
弟子たちを派遣するときには,「杖も,袋も,パンも,金も」持って行かないように,と言われたイエスさま。
きっと弟子たちは,多くの人々からパンをもらったことでしょう。
しかし,この大群衆を前に彼らは何も持っていなかった・・・
そのときにイエスさまは「あなたがたで,何か食べる物を上げなさい」と言われたのです。
神が与えてくださるのは,心の平安,病の癒しに留まらないものであることを,ともに学ぶひと時でした。
さて話は全く変わって,今日,ご紹介するのは,各集会で大活躍のコーヒーサーバーです。
それは,これ!
![]()
なんと,定価の約8割引きで購入したすばらしい一品です。
ただ難点は,カップを置く位置を間違えると大惨事になることでしょうか。
・・・大洪水です。
移動も楽で,保温もでき,本当に重宝しています。
これからも大活躍してくれるでしょう!
#でも,飲みすぎには注意です。
投稿者 mb-church : 15:34 | コメント (1) | トラックバック
2005年02月12日
5つの質問「牧師が病気になったら」
Noblog の5つの質問への初回答です。
タイムリーというか何と言うか・・・
ちょうど昨日から風邪を引いています。
熱はさがったので,明日は支障ないでしょう。
1. あなたの教会の牧師はよく病気になるほうですか。
なってますね~。病気というか風邪。子どもがもらってくる風邪が,必ずといっていいほど僕までまわってきます。
2. 日曜日に牧師が急に病気になってしまったら、礼拝はどういう風になると思いますか。
どういう風になるんでしょう。教会の皆さんで礼拝をささげてくださるでしょう,きっと。
もう一つの問題は,週報。いま,週報の原稿から印刷まで牧師がやっているので,「週報がない!」ということになりかねません。
3. ちなみに、そういうことに対する準備はできていますか。
今のところ何もしていません。何がしか用意したほうがいいですよね。
・・・でも,何とかしていただけるでしょう,きっと!
4. 牧師がインフルエンザにかかって日曜日を迎えました。さて、礼拝のメッセージをしてもよいものでしょうか。
してもよいかどうか・・・というか,やれるかな~。一度,体調が悪くふらふらの状態の時がありましたが,その時はちょうどゲストがメッセージしてくださいました。
でも,ドクターストップがかかったら,休んだ方がいいでしょうね,きっと。特に今は受験生もいますし・・・
体調管理も必要ですが,「体質」というのも「性格」と同様に直しにくいものです。それぞれに配慮しあい,助け合っていきたいものです。
投稿者 mb-church : 12:59 | コメント (2) | トラックバック
2005/2/13礼拝メッセージ
2005年2月13日の礼拝メッセージの要約です。
「主のいのり-3-」
マタイの福音書6章11~13節より
1. 四つ目の祈り
私たちは,何でも神様に祈ることが赦されています。しかし,キリストは「天の父は,あなたがたがお願いする先に,あなたがたに必要なものを知っておられる」とも言っています。当時の人々は「日ごとの糧」から出エジプトにおけるマナを思い出したことでしょう。この祈りは,日常のあらゆる事柄にまで,私たちを生かす方,全てを備え,与えてくださる方を覚えるためのものです。この祈りを通して,私たちは神に生かされているのだということに,気付かされるのです。
2. 五つ目の祈り
私たちは神に負い目があります。神を神とせず,自分本位に生きています。「我らの罪をお赦しください」という祈りは,本当は切実なものなのです。しかし,多くの人がここから目を背ける祈りでもあります。この祈りは,キリストにあって真実に聞き入れられます。そして,神にある赦しは,個人的なものでは終わりません。罪の深刻な影響下に私たちは置かれています。しかし,キリストにあるときに,私たちの内にはまったく違うものが生れます。その新しいいのちは,罪と同様に,いや,それ以上の影響力をもって,私たちの周囲へと広がっていくのです。「私たちも,私たちに負い目のある人たちを赦しました」という告白は,罪赦された者の言葉です。私たちはキリストにある和解をもたらすものとなるのです。
3. 六つ目の祈り
罪赦された私たちの生涯は,まだ神の国が完成する一歩手前にある苦しみが確かに存在するこの世に置かれています。私たちが神の国の民として歩むときに,この祈りは切実な祈りとなります。ここで,悪に対して打ち勝つことができるように力をください,と祈っていないことに気がつきます。この祈りは,神が全ての出来事を支配し,救い出してくださる方であることを確信している祈りです。誘惑,試みすら,神の御手にあり,そして何よりも悪そのものから救い出してくださるのは,神ご自身であるとの信仰があります。「国と力と栄とは,とこしえにあなたのものだからです」との言葉をもって,主の前にへりくだりましょう。
〔考えるために〕
この祈りを通して示される,神が私たちに求めておられることとは,どのようなことでしょうか。
投稿者 mb-church : 11:37 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月10日
2005/2/10学び会
2005/2/10学び会の様子です。
現在は,バプテスト教理問答集を使って,そこから様々な方面に及ぶ「教理」を学んでいます。
今日は「聖化」でした。
「安価な恵み」に陥らずに,
神の圧倒的な恵みに全面的に依存する応答をしていきたいものです。
学び会の写真です。
問題!誰が牧師でしょうか?
ちょっと硬いので,もう一枚。
投稿者 mb-church : 14:00 | コメント (2) | トラックバック
2005年02月09日
ブルース・オールマイティ
ブルース・オールマイティ(Bruce Almighty)を見ました。
ジム・キャリー演じるニュースのアンカーマンになりたがっている万年レポーターどまりの男(ブルース)が,人生最悪の日に神を呪います。そして・・・
彼は神に会い,神と同等の力を授けられ,神の働き(の一部)を託されてしまうのです。
この話の続きは,皆さん,ぜひご覧ください(ネタばれになってしまうので)。
この映画は,聖書を読んだことのある方にこそ,ぜひ見ていただきたい映画です。
クリスチャンの持ついわゆる「神観」をうまく描いています。
#一般にもつ神さま像ももちろんカバーしてますが,キリスト教的バックグラウンドを持っていると,
より「わかる,わかる」と頷けること間違いなしです。
「神」「祈り」「自由意志」などが重要な要素として盛り込まれています。
映画の基盤に流れているのは「神疑論」といったところでしょうか。
彼の叫ぶ神への不平,不満は,誰でも一度は叫んだことのあるものでしょう。
#「至上最強のいじめっ子!」は傑作!
創造主なる神,全知全能の支配者なる神,この神がこの映画の前提にあります。
しかし,残念ながら,人間の罪には焦点はあてられていません。
なんだかんだいって,出てくる人はみんないい人なんです。
そして最後はちょっとホロリとさせるいつもの演出(この安定感がたまらない)。
まあ,人の罪がテーマではないのでしょうがないですけどね。
きっと,ないものねだりをしています。
ジム・キャリーの動きは,なんともしなやか!
行き過ぎの一歩手前で抑える演技はやはりさすがです。
一時の切れた演技が失われた,という声もありますが,
アクターとして円熟していると考えたほうがよいでしょう。
あと面白いのがこのサイトです。
米国のキリスト教系の映画評がここに掲載されています。
ここに監督のインタビューがあり,とても興味深い内容です。
監督は,トム・シャドヤック。彼はクリスチャンです。
他には,パッチ・アダムス,ライアー・ライアーなどを撮っています。
彼がインタビュアーに盛んに突っ込まれているのは,
主人公が同棲していることや性的な表現についてです。
インタビュアーが,この映画をすべての人に見せたいのに,
いわゆる大人の表現があるので見せることができない,と言っており,
そこで,なぜこのようなシーンを入れたのか?と質問しています。
確かに,この質問には教会関係者として同意するのですが,
その一方で監督が,自分は物語の語り部であって,
キリスト教の教義を教えているのではない,人物を描いているんだ,
ということには深くうなずいてしまいました。
「最初から完全な人間はいない。」
確かにそうですよね。
説教者としての自分はどうだろうか,と考えさせられました。
ただ,雰囲気があまりにも楽天的なので(コメディなので),
全部全部がゆるされてしまうのもどうかとは思いますが。
#商業的な意図もあるでしょう,きっと。
まあ,それらを差し置いても,一度ごらんください。
今,ここにおられる神,祈りを聞かれるお方を意識すること間違いなしです。
それと,自由意志の解釈もおもしろいですよ。
・・・この映画の神を演じているのはあの名優です。
投稿者 mb-church : 13:39 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月07日
カヤナック(Kayanak)
カヤナックというゲームをご存知でしょうか?
今日は,近くに住む友人夫妻が我が家に来てくれたので,
こどもたちと一緒にゲームを楽しみました。
カヤナックというドイツのHABAという子ども向けの製品をつくっているメーカーのゲームなのですが,
このゲーム,1999年ドイツ年間ゲーム大賞子どもゲーム特別賞,1999年ドイツ子どもゲーム賞という
華々しい経歴を持つゲームなのです。
ゲームなど子どもの遊びといってあなどってはいけません。
基本的には,磁石で小さな鉄球を釣り上げる古典的な「魚釣りゲーム」なのですが,
紙を氷に見立て,それを棒で突き破り穴を開け,ワカサギを釣りという,文章にすると何て伝わらない!
と,もどかしさを覚えるほどの楽しいゲームなのです。
ルールも幼児向けの簡単なものから,大人も楽しめるちょっとむずかしめのものまであり,
家族みんなで楽しめるゲームです。
#詳しくは,こちらのページで紹介されてます。
しかし,なんと言っても,このゲームの醍醐味は,紙を突き破る際の「ぶすっ」という手応えと,
鉄球を釣り上げたとき(特に2~3個引っ付いてきた時)の単純な喜びにつきます。
こういうシンプルさがよいのですよね。
ぼくもこのゲームのようなシンプルなんだけど,ちょっとありそうでなさそうなあり方でいたいな~と,
ゲームを通して思わされたのでした。
Habaのゲームは,日本のゲームにはない素朴さがあっていいですよ。お試しください。
投稿者 mb-church : 21:34 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月05日
2005/2/6礼拝メッセージ
2005年2月6日の礼拝メッセージの要約です。
「主のいのり-2-」
マタイの福音書6章9~10節より
1. 天の父よ
私たちが祈る相手はどのような方でしょうか。それは私たちを創造し,愛し,今ここにおられる方。その方に対して私たちは祈ります。その方は私たちにどのような関係を開いておられるでしょうか。それが「私たちの父」「天におられる」との呼びかけに表されています。偉大な神から,父と子の親密な関係を開いてくださっているのです。
2. 一つ目の祈り-御名があがめられますように-
この祈りは「あなたの名が聖なるものとなるように」とも訳せます。神の名は,聖書においてとても重要なものとして扱われてきました。それは単なる記号ではなく,その方自身を表すもの,それが神の名でした。なぜ神の名が聖なるものになるように祈るのかと言えば,私たちの方こそ,神を聖なるものとして意識しなければならないほど罪深い者たちだからです。この方こそ真の神であり,私たちの唯一の神であることを,私たち自身がまず覚えるのです。
3. 二つ目の祈り-御国が来ますように-
御国,神の国。それは,神の計画と切り離すことのできないことばです。エペソ書で語られていた神の計画を思い返すことができます。それは,キリストにあって全てのものが一つとなり,神の前にひれ伏すという計画。これこそ,私たちがまず祈るべきことです。神の国,和解,平和・・・御国が来ますように。それらが,今,この身に起こりつつあり,そしてそのご計画が完成するように,と祈る祈りです。
4. 三つ目の祈り-みこころが行われますように-
詩篇143篇には「あなたのみこころを行うことを教えてください」という祈りがあります。私たちの力ではなく,キリストにあって,私たちは義とされ,恵みによってあらゆる事柄から守られると,詩篇の著者は告白しています。みこころが行われますようにとは,私,そして教会を通して,神のみこころこそが優先されるように,そう祈る祈りなのです。
〔考えるために〕
この3つの祈りは,私たちに何をもたらすでしょうか。
私ではなく,神,あなたを中心に置くことができますように。アーメン
投稿者 mb-church : 18:00 | コメント (1) | トラックバック
2005年02月04日
大きなお店
真砂教会のある美浜区には,あのコストコ(正確にはコスコ)があります。
例にもれず私も顧客の一人なのですが・・・
いつもお店に行くと,ドでかいカートに教会愛用のコーヒー缶ひとつとトマト缶という感じの,
それはそれは寂しい買い物になってしまいます。
レジに並んで前後のカートを見ると,もう満杯!コーラで一杯!
一度でいいから,あんな買い物がしてみたい,と思いつつ,
あの人たちは,あの量の商品(主に食べ物)をどうするのだろうかと,心配になってみたりします。
教会イベントの強い味方ではあるのですが,まだまだ使いこなすまでに至っておりません。
私の使命として,何とか会費の元を取らねばなりません。今度どなたか一緒に行きませんか?
・・・しかし,あの冷凍ピザ。どうやって調理したらいいのでしょうか?誰か教えてください。
商品の単価計算をしては,「近所のお店の方が安いな~」と思い,手が止まってしまう庶民な私でした。
投稿者 mb-church : 22:45 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月03日
2005/02/02お祈り会
2005/02/02水曜日夜のお祈り会の様子です。
この日も祈りの友が数名集いました。
水曜日夜のお祈り会。
私たちの教会の特徴である信徒中心であることが,よく分かるお祈り会です。
牧師も一信徒として,この祈りのグループに加わります。
信徒のメッセージに耳を傾け,教会のこと,それぞれのこと,
そして様々な宣教の働きのためにお祈りしています。
この日は,マルコの福音書14:27~31が開かれました。
キリストの十字架が刻々と迫ってきます。
「あなたがたより先に」
いつでも主が先を歩んでくださることが心に響きました。
#写真は,後日アップします。
投稿者 mb-church : 16:52 | コメント (1) | トラックバック
2005年02月02日
今日の水曜日集会
2005/02/02の水曜日集会の様子です。
今日もコーヒーを飲みながら,聖書のみことばと楽しいひと時を持ちました。
今日は,皆さんでルカ8:4~18を読みました。
自らの努力で良い地になろうとせず,みことばによる「気づき」が大切であることを分かちあいました。
今日もひとりひとりが,イエス・キリストのことばに心の内を探られたことでしょう。
どなたかが言っていました。
「植木にはうるおいが必要ね」
みな,自分のこととして深くうなずいた水曜日の午前中でした。
ひとりで聖書を読むよりも,みんなでワイワイ読むと,
分からなかったことが分かったり,新たな発見があるものです。
投稿者 mb-church : 13:24 | コメント (2) | トラックバック
2005年02月01日
教会の中は・・・
教会の中は,こんな感じです。
この会堂は1991年に建てられたものです。
礼拝堂は半地下にあります。
大人がゆったり座って,約70名ほどの座席があります。
1Fは吹き抜けのあるロビーです。
ここに丸テーブルを出して,お茶をしたり,お昼を食べることができます。
ソファーのある集会室もあります。
2Fは今度アップします。
お楽しみに!