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2005年01月30日

今日の午後

今日は転入会式がありました。
そして、午後には有志の方による「おしるこの会」(勝手に命名)が開催されました。
その味は・・・

・・・とっても美味!
目の前に次々と置かれる椀を、気づけば3杯、食べていました。
皆さんの楽しい笑顔とおしるこで、なんだか甘い甘い気持ちになった日曜の午後でした。
今度は、教会でおもちつきをしたいな~と、もち好きな僕は考えていたのでした。
どなたかよろしくお願いしま~す!!

投稿者 mb-church : 22:08

2005年01月29日

2005/1/30礼拝メッセージ

2005年1月30日の礼拝メッセージの要約です。
「主のいのり-1-」
マタイの福音書6章5~8節より

1. 偽善者のように
 ここで,偽善者の祈りが取り上げられています。彼らは,神を知りつつも,自分のために,自分の都合で祈りをしています。ここで,イエスが問題にしているのは,なぜ祈るのか,誰に祈っているのか,ということです。偽善者に対し,イエスはあえて逆のこと,人前ではなく奥まった部屋で,隠れておられる神に祈りなさい,と言います。自分自身を先行させることのゆえに,神を見失う姿がここにあります。

2. 異邦人のように
 異邦人の祈りもまた同じように取り上げられています。熱心に,ただ回数を多く祈ればそれで聞かれるのでしょうか?これもまた祈りの本質を見失っている姿です。このようにイエスは言います。神は私たちが祈る前に必要なものを知っておられる。それでは祈る必要がない!そう思ってしまうことこそ,私たちの根本的な間違いをあらわにしています。この根底には,祈るのは私の必要を知っていただくためだという考えがあるのです。

3. 祈りとは?
 祈りについてここから二つのポイントをあげることができます。一つは,神は祈りを通して「あなた」と「わたし」の関係を大事にしようとしているということです。私たちが祈るのは,自分を高めるためでも,義務でもありません。祈りを通して神との親しい関係が与えられます。そして二点目は,神は私たちと呼吸を合わせようとしておられる,ということです。神の側にはすでに用意はあります。しかし,私たちの方が神との呼吸があっていないのです。私たちは自分のタイミングばかりを気にして,神と呼吸をあわせようとしていないのです。祈りを通して,神との呼吸をあわせ,その御腕に飛び込んでいきましょう。

〔考えるために〕
あなたの祈る相手はどのようなお方ですか?
祈るときに大事なことは何でしょうか?

投稿者 mb-church : 17:09 | コメント (2) | トラックバック

2005年01月28日

礼拝のすすめ

礼拝のすすめ
礼拝って私に何の関係があるの・・・?

〔創造主なる神に向かって〕
 聖書は,人間は神によって創造されたと記されています。人間はこの創造主なる神を礼拝するときに,あるべき所へと戻ることができます。礼拝は,全てを創造し,全てを治めておられるこの神様に向かってささげるものです。様々な日常を離れ,この礼拝のひと時を神様に心からおささげしましょう。その時に,私たちは存在の意味,意義を得ることができます。

〔十字架を見上げて〕
 十字架は,イエス・キリストによる罪からの贖いを指し示します。私たちは,まことの神を離れ,創造された本来の意味を失い,さまよい歩く罪人です。しかし,イエス・キリストの十字架は,私たちの罪を洗い流し,そして神に立ちかえる希望を与えています。礼拝を通して,この十字架を私たちは見上げます。

〔賛美を歌う〕
 賛美は,神の栄光をたたえ,その恵みに感謝し,歌を通して神様をあがめます。歌が得意な人もそうでない人もいることでしょう。賛美は上手い下手ということが問題ではありません。それよりも神の恵みを覚え,そのすばらしさを心から口にすること・・・これこそが神への賛美です。神を心から賛美するときに,私たちのうちに喜びが与えられることでしょう。

〔神に祈る〕
 祈りは,神様と親しく語りあう時です。だれでも「祈り心」が与えられています。しかし,誰に祈っているのかを知りません。しかし,私を創り,愛している方を知るならば,私たちの祈りはまったく別のものとなります。ただの祈願,神頼みではありません。神とともに歩む。それは祈りをもって,神と呼吸を合わせることなのです。

〔神のことばに耳を傾ける〕
 メッセージは,神のことばである聖書のメッセージです。神は漠然としたものでも,また,勝手な存在でもありません。聖書を通して,私たちに今も語りかけておられる方です。礼拝の中で開かれる聖書のことば,そしてメッセージ。それは私たちの内側を照らし,そして歩むべき道をも指し示すものです。聖書のことばの力を知ってください。

〔教会〕
 教会は人間の集まりです。しかし,単なる集まりではありません。まことの神を知り,そして十字架の赦しのもとに集められている共同体。それが教会です。礼拝は,この教会を通してささげられます。互いに仕えあい,そして互いに神にある一人一人であることを感謝しつつ,礼拝をともにささげます。私たちは,神の赦しが自分だけではなく,多くの人々のものであることを知るのです。


・・・礼拝のある生活。それは,一人一人を本来の場所へと導く一歩となり,そして土台となるのです。

投稿者 mb-church : 09:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月25日

2005/1/23礼拝メッセージ

2005年1月23日の礼拝メッセージの要約です。
「祝福のいのり」
エペソ人への手紙6章23,24節より

1. 祝福の祈り
日本において祝祷というと,祝福の祈願と考える方も多いのではないでしょうか。しかし,礼拝における祝祷は異なる意味を持っています。礼拝の最初には「招詞」があります。これは,神様の側の招きです。そして,礼拝の最後には祝祷があります。これは「派遣」の性質を持っています。それは,人が与える祝福の祈りではなく,神による派遣のことばです。私たちは,神様によって召され,そして遣わされていくのです。

2. 平和と愛
23節を直訳すると,「兄弟たちにある平和,そして信仰とともなる愛が,父なる神と主イエス・キリストから」となります。平和と愛・・・それは,この手紙における主題です。キリストにある平和,ひとつに集められるということと,それを実現にいたらしめる神の愛,そして互いへの愛が最後に求められています。私たちがキリストによって救われたのは,平和と愛のためです。福音の大使として遣わされているのです。

3. 恵み
24節を直訳すると,「恵みが,私たちの主イエス・キリストを愛するすべての人々と共に,朽ちることなく」となります。つまり,神の恵みが,主イエス・キリストを愛するすべての人々とともに,朽ちることなくあるように,ということになります。この恵みこそ,私たちが忘れることのできない原点です。神のご計画の中に呼ばれ,そして入れられている。この恵みを心から喜びましょう。この恵みは,決して朽ちることがありません。そこに,変わらぬ神の約束と愛,そして必ず成し遂げられる神のご計画があるのです。平和と愛と恵み,これらを携えて,私たちはそれぞれの場所へと出て行きます。私たちは,この世において,神のご計画に従って遣わされていることを信じて歩ませていただきましょう。

〔考えるために〕
祝祷とは何でしょうか。
あなたはどこに遣わされているのでしょうか。

投稿者 mb-church : 17:54 | コメント (3) | トラックバック